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更新日:2019年12月23日(月)

2019年度 第2回梅田講演会 「不思議なクリスマス-その謎を聖書に問いかける」

開催日時:2019年12月20日(木)14時~15時30分
会  場:関西学院大学大阪梅田キャンパス14階1405号室
講  師:山本 俊正(関西学院 宗教総主事・関西学院大学 商学部教授)

はじめに

○「ほんとかよ、嘘だろ、マジ?」東京の電車の中での会話によくあるパターンだが、聖書の中のクリスマスの物語には随所に見られるパターンである。

○「クリスマス」とは(Christmas=Christ+mas)=「キリスト降誕日」=キリスト降誕祭」

「これはキリストのミサ」という意味。ドイツ語ではヴァイナハト(聖なる夜)フランス語ではノエル(良い知らせ)スペイン語ではナヴィダド(誕生)と呼ばれている。

  1. クリスマスは12月25日の不思議(12月25日とされているのはなぜか)

●ルカによる福音書/02章08節~14節

その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜遠し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなた方は、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」

●ルカによる福音書/02章01節~7節

その頃、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に登録をせよとの勅令が出た。キリニウスがシリア州の総督であったときに行なわれた最初の住民登録である。人々は皆、登録のために自分の町へと旅立った。ヨセフもダビデ家に属しており、いいなづけのマリアと一緒にガリラヤのナザレからユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。

マリアは出産したが、旅人も多く、泊まる場所もなかったためその子を布にくるんで飼い葉桶にねかせた。(馬小屋で生まれた)

●ユダヤ教のお祭り「ハヌカー祭」の影響では

ユダヤ教では12月に「ハヌカー祭」(HnukahまたはChanoukah)と呼ばれる祝祭日がありそれに関係しているのではないかという説。

ユダヤがシリアによって占領され、ユダヤ人の信仰の中心であったエルサレム宮殿もこの異教徒によって冒涜されていたが、その後その神殿を奪い返した日の喜びを忘れないために設定されたお祭りが「ハヌカー祭」であるが、神の光が回復されたことを喜ぶ日ということで燭台に蝋燭をともして祝う日、ハヌカーは「光の祭り」ともいう。→燭台をハヌキヤ(Hanukia)と言うのに対しキリスト教のアドベントキャンドルとの類似性がうかがえる。

●ローマ帝国の習慣と新興宗教「ミトラ教」への対抗意識

冬至の祭りで「サトウルナリア」と呼ばれていた日。この日は農業神としてのサトゥルヌスを祭る日で、来る年の豊饒、豊作を冬の最中に祈る日であり、この日が冬至と重なり合っている場合、太陽が光を取り戻す日とされた。ローマではこの日を「デイエス・ナタリス・ソリス・インヴィクティ」(不滅の太陽の再生の日 Dies natalis invicti solis)⇒太陽が再び新たに力を盛り返して世界を明るく、温かくしてくれる季節が始まる日と呼んでいた。

●キリスト教は4世紀にミラノ勅令によりローマ帝国の国教になる。当時、新興宗教のミトラ教(太陽神ミトラスを主神とする密議宗教)が勢力を伸ばしていたこともありそのミトラ教が太陽の祭りを大切にしていたこともあり、イエスの誕生日を太陽の祭りの冬至の時と決めた。(政治的判断)

2) イエス誕生の不思議

①背景としての系図の不思議

1:マタイによる福音書

アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図

アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、エッサイはダビデ王をもうけた。ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、ソロモンはレハブアムを、レハブアムはアビヤを、アビヤはアサを、アサはヨシャファトを、ヨシャファトはヨラムを、ヨラムはウジヤを、ウジヤはヨタムを、ヨタムはアハズを、アハズはヒゼキヤを、ヒゼキヤはマナセを、マナセはアモスを、アモスはヨシヤを、ヨシヤはバビロンに移住させられたころ、エコンヤとその兄弟たちをもうけた。バビロンへ移住させられた後、エコンヤはシャルティエルをもうけ、シャルティエルはゼルバベルを、ゼルバベルはアビウドを、アビウドはエリアキムを、エリアキムはアゾルを、アゾルはサドクを、サドクはアキムを、アキムはエリウドを、エリウドはエレアザルを、エレアザルはマタンを、マタンはヤコブをヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。こうして全部合わせるとアブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。

●マタイによる福音書の1章1節から17節、列車の時刻表のように無味乾燥な記述だが、実は興味津々たる記事である。

●系図にある4人の女性

イエス・キリストの系図は男系の系図、父系の系図であるが、不思議にも4人だけ女性の名前がでてくる。

  • 3節、「ユダはタマルによる」 タマルという母親
  • 5節、「サルモンはラハブによる」 ラハブという母親
  • 5節、「ボアズはルツによる」 ルツという母親
  • 6節、「ソロモンはウリヤの妻による」 ダビデとバテシバ(ウリヤという男の妻)の子

この4人の女性はすべて恥と罪に満ちたおんなたちである。すべて旧約聖書に身元がわれている。

●タマル(創世記38章6節から30節)自分の夫の父親、舅と性関係を結び子供を産む。

●ラハブ(旧約ヨシュア記6章25節)売春婦であり異邦人

●ルツ(旧約ルツ記)ルツは貞女の鑑と一般にうけとられている。実はルツも異邦人。

●バテシバ(旧約サムエル記下11章)ウリアが戦争に行っている間に関係。ウリアは配転、戦死。

●系図の意図、連帯化

イエス・キリストが救い主であるということは、この4人の女性によって代表されるような罪と恥それをイエス・キリストが同じ系図に入って連帯的に背負ってくれているということである。

②家畜小屋(馬小屋)の不思議

ルカによる福音書/02章01節~7節

そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録せよとの勅令がでた。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行なわれた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレからユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなづけのマリヤと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。

※世界の救い主がなぜ家畜小屋でうまれたのか。⇒世間から疎外された人々と共に誕生した。

3) イエスの名前の意味の不思議―「インマヌエル」

イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、精霊によって身ごもっていることがあきらかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が表れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現されるためであった。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は「神は我々と共におられる」という意味である。

キリスト=救い主 

●インマヌエルと呼ばれたイエス=「神々は我々と共におられる」という意味である。

●アンセルムスの『クール・デウス ・ホモ 神は何故に人間となりたまいしか。』という本。

答えの一つは、「必要があったから」⇒アリの一部に「なる必要」がある。

●「ちょっといい話」1=公園で女の子が転んだ。見ていた女の子も自分で転んだ。そして立つと二人で笑った。

●「ちょっといい話」2=デンマークの王様の話。ヒットラーの統治下、ユダヤ人は白いバラのマークをつけることが義務付けられていた。王様は散歩のとき、胸に白いバラをつけて歩いた。

4) 「第2のエバ」(マリアの登場と天使の不思議)

ルカによる福音書/01章26節~38節

六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大なひとになり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたは親類のエリザベトも、年を取っているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」マリアは言った。「わたしは主のはしためです。おことばどおり、この身に成りますように。」そこで天使は去って行った。

●ルカが語る物語には視覚的イメージが豊かにあると言われている。キリスト教美術の作品群においても、ルカの物語に題材を採ったものが多い。

●イタリアの画家 フラ・アンジェリコの作品「受胎告知」⇒アダムとエバの「エバ」とイエスの母「マリア」が1枚の中に納められている。失意の中でエデンの園を去るエバと天使に祝福されている光輝くマリアが対照的に一枚の作品の中に納められている。

●マリアは原罪から人類を救うために選ばれた「第2のエバ」⇒第2のエバによって、楽園回復の時代が始まる。画家アンジェリコは、この新しい時代の始まり、イエスの到来、アドベントを描いている。

●天使とは=背中に羽のあるかわいらしい子供=森永キャラメル。白衣の天使=看護婦

●聖書に出てくる天使は神から遣わされた使者のこと。弟子のペテロが牢獄につながれ、死刑を直面した前夜に、神に遣わされた天使がペテロを救い出す物語が使徒言行録にかかれている。(使徒言行録、第12章1節~25節)

●天使はイスラム教にも登場する。「四大天使」⇒旧約聖書「ダニエル書」のミカエル、マリアに受胎告知をしたガブリエル、「トビト記」の登場するラファエルを三大天使と言い、更に外典に登場するウリエルを合わせて四大天使という。

5) マリアの賛歌の不思議

ルカによる福音書/01章46節~56節

そこでマリアは言った。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、その憐みは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。主はその腕で力を振るい、思い上がるものを打ちちらし、権力あるものをその座から引き降ろし、身分の低いものを高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。その僕イスラエルを受け入れて、憐みをお忘れになりません、わたしたち先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫にたいしてとこしえに。」マリアは三か月ほどエリザベトのところに滞在してから自分の家に帰った。

●「ハレルヤコーラス」は個人的な経験である。

●モーツアルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」⇒ラテン語、「めでたし まことのイエスの体」という意味

●「マリアの賛歌」=マグニフィカート(あるいはマニフィカート)⇒喜びの歌の歌詞はラディカル。16歳ぐらいの農民の少女、しかもエルサレムのような都会でなく、片田舎のナザレの少女が歌った。⇒ルカによる福音書の大きなテーマ、聖書は貧しい人の神である、困難の中にある者の神であるということ。

●「主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力のあるものをその座から引き降ろし、身分の低いものを高く引き上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます」⇒革命の歌ではないか?

●マリアの歌は、神学的には終末論的な歌。最後にイエス・キリストが来られるとき、人間の基準と価値観が根底から覆される。

6) サンタクロースの不思議-サンタクロースの存在証明

●ビデオ「34丁目の奇蹟」

<映画の背景>

『34丁目の奇蹟』(Miracle on 34th Street)

1947年、アメリカで製作されたクリスマス映画。1948年アカデミー賞脚色賞を獲得、サンタ役のエドマンド・グウェンが助演男優賞を獲得した。また1947年のゴールデングローブ賞で脚本賞と助演男優賞を獲得した。DVDは1994年にジョン・ヒューズ製作・脚本でリメイクされている。サンタクロースを描いた映画の定番、代表作で、米国では現在も毎年のようにテレビ等で上映されている。1948年の作品はモノクロであるが、リメイクされたこの作品はカラーとなっている。この映画を初めて見たのは、私がアメリカで学んでいた80年代であったが、その時同様、今、見ても1948年からの歳月を感じさせない会話のテンポの良さと物語の展開に引き込まれる。なお、最初はサンタを信じない子役(スーザン)は往年の名女優ナタリーウッドが演じている。また、この映画の中で描かれる、百貨店の販売戦略は、企業倫理が低下した現在、商学を学ぶ者にも非常に参考になる。

●映画のあらすじ概略

ニューヨーク、メイシーズ百貨店(現在もある米国全国チェーンのデパート)の催す感謝祭パレードで人気のあるサンタクロースに通りがかりの老人が雇われることになる。そのサンタは人事係のドリス(M・オハラ)に選ばれたクリングル老人(E・グウェン)。クリングルのサンタは評判を呼ぶが、現実家のドリスは一人娘スーザン(N・ウッド)が彼を本物のサンタだと思いこんだため、クリングルに説明を頼んだ。だがクリングルは彼女の言葉に従わず、自分はサンタだと言い張ってしまう。やがて、妄想狂と見なされた彼は精神病医を殴るという事件を起こし、ドリスのアパートの向かいに住む弁護士フレッド(J・ペイン)の助けを借りて遂に裁判が開かれる。裁判の結果は見てのお楽しみだが、人間の信じることの素晴らしさ、大切さを教えている。また、サンタが存在することの証明と非存在の証明との議論は、神の存在証明との議論とも通底している。人間が見えるものだけを信じていきているわけではないことを知らせる。

●サンタは本当はいないのか―非存在の証明

①「サンタは存在しない。科学的に不可能である。サンタを見たことがないし、見えないものは信じない」 全世界、子供たちのいる25億世帯に、24日、25日の2日間、48時間でプレゼントを配りきるにはそりの速さは秒速5,800キロで移動する必要がある。7秒で世界一周。そして一軒当たりにさける時間は1,000,000分の34秒、そんなことは物理的に不可能。⇔反論:だから見えない

②「そんなスピード(5,800km/S)でそりが移動したら空気との摩擦で蒸発してしまう」⇔反論:本当に蒸発してしまうか?

空気抵抗は一般に速度の1乗比例して増加するから、すごい抵抗力を受ける。しかし、昔「スーパーマンの映画ではスーパーマンは1秒で地球を7周半していた(300,000km/S) スーパーマンは大気圏の外を飛んでいた。その場合空気抵抗はない。スーパーマンにできれば、サンタクロースにもできる。

  • 「日本の市役所に住民票がない」⇔反論:サンタはフィンランドにいる。
  • あの体格で煙突から進入するのは、物理的に無理がある「あんな身なりで住居侵入したら普通

逮捕されている」⇔反論:煙突のない家にもプレゼントが届けられている。サンタが煙突を使うとは限らない。サンタには免責特権がある。

結局サンタは「存在しない」という証明は「存在する」より難しい、神学上では「神の不在証明」と同じくらいに困難。いることを証明するならそれを見つければいいが、何かが物理的に非存在であることを証明するのは難しい。現時点で実体が観測された事のない、存在の手がかりもない存在がサンタ。しかし「いない」ということも証明できない

●「サンタはいる」と答えた新聞-8歳の少女バージニア・オハンロンが新聞社にサンタはいるかどうか問い合わせたところ、「ニューヨーク・サン」社は社説で「いる」とこたえた。

●「神戸・北野異人館の上空にサンタ?」-2013年12月14日神戸新聞全面広告で存在問題を提起。

  • 2019年度 第2回梅田講演会 「不思議なクリスマス-その謎を聖書に問いかける」
(1220)第2回 梅田講演会①
(1220)第2回 梅田講演会②
(1220)第2回 梅田講演会③
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