KGヒストリー
NO.36 専門学校(専門部)と短期大学の廃止
大学開設後も存続した関西学院専門学校は、戦中戦後の動乱の時代に大きな変化を遂げることになった。戦時中閉鎖された専門部神学部については前にも述べたが、1944(昭和19)年以来政経科に吸収された高商と専門部文学部は戦後いち早く1946(昭和21)年に高等商業学部および文学専門部として存続した。
しかし、新制大学が始まるとともにまず文学専門部が1948(昭和23)年廃止され、1950(昭和25)年には高商と理工科に英文科を加えて短期大学(商科・英文科・応用化学科)として、加藤秀次郎(1902-77)学長のもとに新発足することになった。しかし1950(昭和25)年9月ジェーン台風によって校舎に多大の被害を受けた応用化学科は、同年11月に廃止の決定をみた。
しかも戦後の社会情勢により、短大卒業生の多くは4年制大学に編入を希望したので、理事会もついに1957(昭和32)年3月をもって短期大学廃止に踏み切った。歴史的にみれば高商と専門部文学部、神学部は新制大学に発展的に吸収されたとみることもできるが、時代の波に翻弄された理工科を含む短期大学の薄命の歴史は関係者の胸に遺憾の思いを残した。
戦争直後、学院の理事であった賀川豊彦が提唱した立体農業を推進する目的で、「小豆島農芸学園」が、専門学校の課程で関西学院分校として設立される計画が立てられたが、文部省の認可が下りず、神崎院長を理事長とする別法人により石田已代治校長の下に十数人の学生をもって各種学校として、1947(昭和22)年に発足した。しかし、経営上の協力を約束した地元の産業が振るわず、教師の給料も十分支払えなかったので、翌年5月末に廃止し、教員と残った学生は関西学院に移った。
- 短大創設当時の教授陣/1951(S26)
- 短大校舎/1953(S28).1.29竣工