KGヒストリー
NO.37 活発なキリスト教活動
「敗戦直後の虚脱状態にあった日本社会が落ちつきを取りもどした時に、先ず大きな希望をもって眼を向けたのは民主主義とキリスト教とであった。1945(昭和20)年の冬から1946(昭和21)年の春にかけて、キリスト教の諸集会には出席者が殺到した」(『70年史』)といわれるように、戦時中抑圧されていたキリスト教に対する世間の関心が一挙に高まり、1953(昭和28)年には、わか国プロテスタント宣教100年を迎えた。
学院でも大学、専門部、高商、高等部、中学部と次々に学生生徒の組織として宗教部が復活し、各教会に出席する学生を中心に活動が進められた。教員組織についていえば、従来学院には1人の礼拝主事しかいなかったが、各学部ではほとんど部長がチャペルを司会し、宗教教育の責任もとっていた。しかし、戦後になって、各部にそれぞれ宗教主事が置かれるようになり、1952(昭和27)年には大学各学部と宗教センターにも主事が迎えられ、後者には中学部の山崎治夫主事が兼任した。1953(昭和28)年から宗教総主事制が定められ、初代の総主事に神学部の原野駿雄教授が就任した。
1949(昭和24)年に教職員の間から切実な要求があり、有志による自発的な「宗教活動委員会」が誕生した(1950年6月)。宗教活動委員会は最初、①宗教センターの設立、②キャンプサイトの保有、③全教職員の修養会および学生の夏季学校、という三つの夢をもっていたが、③は直ちに実現し、宗教センターは1952(昭和27)年に、キャンプサイトも1955(昭和30)年に開設されて、今日に至るまで活発な活動を続けている。
原田の森時代の1915(大正4)年から学院内で始まった「関西学院教会」は、学院関係の信徒を会員として営まれてきたが、地域と学生に対する伝道を積極的にするため、1957(昭和32)年上甲東園の現在の地に移転した。
- (左から)鮫島盛隆/礼拝主事(1941〜51)、原野駿雄、山崎治夫
- E.ブルンナー博士来校/1949(S24).10
1953(S28).7.17 中央講堂